三春にいく途中
2010年にカンボジア初渡航。それ依頼、カンボジアに住み着いた、日本人初のカンボジア在住薬剤師です! NGOとしてカンボジアの人の健康を守る活動をするか傍ら、カンボジアの人達の健康や薬に関する知識普及をめざし、起業。 日本の健康や医療に関する商品を、正しい知識とともに適切にカンボジアの人達に使ってもらうべく、奮闘中! 現在は日本の薬局とカンボジアの行き来をする生活♪
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2015年3月22日日曜日
2015年3月19日木曜日
2015年3月13日金曜日
2015年3月10日火曜日
2015年3月5日木曜日
カンボジアの医療事情で想うところ・・・
旦那の友人が亡くなって・・・今一番思うところは、
「何も情報がない」というもどかしさ。
「去年の末にベトナムで手術してきたんだよね」
「何の?」
「さあ。首のところの神経が絡まってたとか」
「は?それ癌とかじゃなくって?」
「さあ。でも、ベトナムでは癌てわかったら手術を受けない可能性があるから言わないよ」
「え?じゃあ転移とかしとったらどないすんの?」
「さあ?」
「2週間ほど前に同じ呼吸困難で病院に運ばれたんだよね」
「医師はなんて?」
「さあ?」
「原因とか、注意とかいわれなかったの?」
「さあ?よくなったから自宅に帰ったって」
「???」
「でも、ずっと小さいときから呼吸困難を時々起こしてたんだよね」
「え?喘息だったの?」
「いや、いわれたことない。でもずっと前から苦しくなるこことはよくあったらしい」
「病院にはいかなかったの?」
「いっても風邪とかくらいで。特には・・・」
「へ?」
「運ばれたときは酸素が75%くらいだったんだって」
「で、原因は?」
「さあ?」
「検査は何かしたの?」
「血液検査したらしい」
「結果は?結果の説明とかは?」
「医者は何も言わないって。検査結果も見られるのが嫌でださないよ」
「へ?」
「もう肺が半分つぶれてるって」
「え?それは感染して?それとも肺の機能が全滅してるってこと?」
「さあ?」
「医師からはなんて?」
「吐血したから、もう持たないって」
「え?それだけ?」
「そう」
「吐血ひどかったの?その時医師はなにか感染症とかいわなかった?」
「何にも」
「・・・・・・」
情報が全くないのですべてが推察の域をこえれないし、どういうサポートをしてあげたらいいのかもまったく見当がつかない。
喘息だったのか?
結核だったのか?
アスペルギルスなどの感染症だったのか?
HIVに感染していたのか?日和見感染?
癌だったのか?
じゃあ感染症であったのなら、子供や家族は大丈夫なのか?結核の場合は感染している可能性も大だ。
カンボジアの医療で一番必要で一番欠けているのはプライマリケアレベルの医療知識とスキルだと思う。
「高度医療の支援が必要だ」という人がいる。
しかし、そうではないと私はいつも思っている。
小さいとき、喘息が風邪をひいてかかった病院で気づいてあげられてたら・・・
ベトナムに行くときに、それは腫瘍だとか、何か違うなにかだと説明がきちんとあったら・・・
手術の時に以前から呼吸困難を起こしたことがあるという情報が医師に伝わっていたら・・・
最初に呼吸困難で運ばれた病院で、感染症なりなんなりの原因がある程度絞り込めていたら・・・
家族にきちんと医師から情報が伝えられてたら・・・
彼女の命は助かっていたかもしれない・・・
私も何らかの手助けができていたかもしれない・・
そう思うと、歯がゆくてたまらない。
「何も情報がない」というもどかしさ。
「去年の末にベトナムで手術してきたんだよね」
「何の?」
「さあ。首のところの神経が絡まってたとか」
「は?それ癌とかじゃなくって?」
「さあ。でも、ベトナムでは癌てわかったら手術を受けない可能性があるから言わないよ」
「え?じゃあ転移とかしとったらどないすんの?」
「さあ?」
「2週間ほど前に同じ呼吸困難で病院に運ばれたんだよね」
「医師はなんて?」
「さあ?」
「原因とか、注意とかいわれなかったの?」
「さあ?よくなったから自宅に帰ったって」
「???」
「でも、ずっと小さいときから呼吸困難を時々起こしてたんだよね」
「え?喘息だったの?」
「いや、いわれたことない。でもずっと前から苦しくなるこことはよくあったらしい」
「病院にはいかなかったの?」
「いっても風邪とかくらいで。特には・・・」
「へ?」
「運ばれたときは酸素が75%くらいだったんだって」
「で、原因は?」
「さあ?」
「検査は何かしたの?」
「血液検査したらしい」
「結果は?結果の説明とかは?」
「医者は何も言わないって。検査結果も見られるのが嫌でださないよ」
「へ?」
「もう肺が半分つぶれてるって」
「え?それは感染して?それとも肺の機能が全滅してるってこと?」
「さあ?」
「医師からはなんて?」
「吐血したから、もう持たないって」
「え?それだけ?」
「そう」
「吐血ひどかったの?その時医師はなにか感染症とかいわなかった?」
「何にも」
「・・・・・・」
情報が全くないのですべてが推察の域をこえれないし、どういうサポートをしてあげたらいいのかもまったく見当がつかない。
喘息だったのか?
結核だったのか?
アスペルギルスなどの感染症だったのか?
HIVに感染していたのか?日和見感染?
癌だったのか?
じゃあ感染症であったのなら、子供や家族は大丈夫なのか?結核の場合は感染している可能性も大だ。
カンボジアの医療で一番必要で一番欠けているのはプライマリケアレベルの医療知識とスキルだと思う。
「高度医療の支援が必要だ」という人がいる。
しかし、そうではないと私はいつも思っている。
小さいとき、喘息が風邪をひいてかかった病院で気づいてあげられてたら・・・
ベトナムに行くときに、それは腫瘍だとか、何か違うなにかだと説明がきちんとあったら・・・
手術の時に以前から呼吸困難を起こしたことがあるという情報が医師に伝わっていたら・・・
最初に呼吸困難で運ばれた病院で、感染症なりなんなりの原因がある程度絞り込めていたら・・・
家族にきちんと医師から情報が伝えられてたら・・・
彼女の命は助かっていたかもしれない・・・
私も何らかの手助けができていたかもしれない・・
そう思うと、歯がゆくてたまらない。
2015年3月3日火曜日
深夜の電話
昨日、旦那と二人で同時に目が覚めて・・・
「あれ?お前の電話が鳴ってるぞ」と・・
「え?そんなん鳴ってないよ?」と電話を確認するものの、やっぱり着信はない。
旦那の電話を見てみても怪しいところはない。でも確実に「ンン~~~」っていうマナーモード状態の電話の呼び出しが・・・。
実は旦那の電話は昨日の夜、急にSIMが壊れたらしく、ネットワークに繋がらない状態だった。
なのでそもそも「電話が鳴る」筈がない。
で、しばらくして音が消えて、空耳かな~っておもって二人で寝なおした。
旦那は朝早くでかけて、電話会社でSIMの交換をしてもらい「やれやれ」と。
すると・・・連絡があって、例のカンボジア人の友人が息を引き取ったと。
「昨夜の夜中に亡くなった」と。
「え????」と二人で顔を見合わせる・・・
旦那が
「実は朝になって電話を確認したら、知らない電話番号の着信があって。かけなおしても【使われていません】ってなるんだよ。でも、おかしいんだよね。電話番号の桁が一つ多いんだよね」って。
「え???」
「だよね~~」
「んだね~~」
何をうちの旦那に伝えたかったんだろう。
昨日「会いたがってる」という連絡が家族から来た時、ICUに入れるのが夕方の5時以降だから待てといわれ、朝に会いに行ける状態だったにもかかわらず、会いに行けなかった。
「なんで死にかけているのに5時までまたせるの?それまでに何か伝えたくても伝えられなくなるかもしれないやん」と私は怒り心頭!
結局、旦那が夕方5時に病院に行ったときにはすでに喋れない状態に。
一生懸命目に涙を浮かべてうなずいていたらしい。
人の死に対しての思いやりというか心遣いはないのか!と怒りまくってた。
旦那には「病院のルールだから仕方がないだろう」って。
いや~~でもさ~~。
カンボジアの病院には倫理的な感覚がないのか。
医者だけではない・・・医療食全般に言えることだ。
今日、旦那の水槽を買いに一人のカンボジア人男性がきた。
私が日本人の薬剤師だと知って、嬉しそうにこういうのだ。
「I have medical license. I work here」といって名刺を出してきた。
よくわからないが肩書はmanagerとなっている。
どうやらボランティア派遣の会社らしい。
心のなかで
「いったい何のmedical licenseなんだ?なんでそんなに偉そうで、なんでそんなに他の国の医療従事者と同じ立場になろうとするんだ?2週間そこらで取れるmedical license なんて先進国にはない。医療従事者というのは皆んな人の命に関わる仕事だという認識がある。お金を稼ぐため、裕福なNGOで仕事するための資格ではないのだ」と叫びまくった一瞬(笑)
カンボジアの医療事情の改善にはまだまだ遠い道のりだ。
呼吸困難のカンボジア人の友人のその後
まだ頑張ってる。
でもカルメッテに入った時「片肺が完全にダメになっているから、治ったとしても片肺のまま酸素をつけていないと生きられない」と言われたらしいので、「肺気腫か?」と思ったものの、急激な症状の悪化を考えたらどうにも納得がいかない。
肺結核やアスベルギルスなども想定できるが、これまでベトナムから帰ってきてからこれまでに、食事が食べれるようになったり、手が動かせたり、ベッドに座れるようになるなど、かなり体調がよくなっていたことを考えたら、どうも納得がいかない。2週間前に会った時も、息苦しいとかひどい咳が続くとか言う症状もなかった。
ただ昔から喘息のような呼吸が苦しくなる症状は時々あったらしく、既往歴として喘息を持っていた可能性も考えられる。
食べれなくなってからも輸液のようなものは一切使われていない。感染症なら栄養状態を改善するのは重要なはずなのに・・・。
今回救急搬送されるまえに一度同じように呼吸困難を起こしてローカルな病院に運ばれたらしい。でもその時はすぐよくなり、3日ほどで退院した。
それから2回目の呼吸困難で現在に至る・・・。
転院時には一回大きな吐血をしたらしい・・
吐血後、医師からは「もう後1日持たない」といわれたが・・・それから3日頑張ってる。
私たちが家族に託けたエンシュアを「栄養のあるミルクだから飲みたい」といって少し飲んでくれているらしい。
「まだ生きたい」という気持ちがある・・・。
電話が鳴らないことを祈る毎日だ。
でもカルメッテに入った時「片肺が完全にダメになっているから、治ったとしても片肺のまま酸素をつけていないと生きられない」と言われたらしいので、「肺気腫か?」と思ったものの、急激な症状の悪化を考えたらどうにも納得がいかない。
肺結核やアスベルギルスなども想定できるが、これまでベトナムから帰ってきてからこれまでに、食事が食べれるようになったり、手が動かせたり、ベッドに座れるようになるなど、かなり体調がよくなっていたことを考えたら、どうも納得がいかない。2週間前に会った時も、息苦しいとかひどい咳が続くとか言う症状もなかった。
ただ昔から喘息のような呼吸が苦しくなる症状は時々あったらしく、既往歴として喘息を持っていた可能性も考えられる。
食べれなくなってからも輸液のようなものは一切使われていない。感染症なら栄養状態を改善するのは重要なはずなのに・・・。
今回救急搬送されるまえに一度同じように呼吸困難を起こしてローカルな病院に運ばれたらしい。でもその時はすぐよくなり、3日ほどで退院した。
それから2回目の呼吸困難で現在に至る・・・。
転院時には一回大きな吐血をしたらしい・・
吐血後、医師からは「もう後1日持たない」といわれたが・・・それから3日頑張ってる。
私たちが家族に託けたエンシュアを「栄養のあるミルクだから飲みたい」といって少し飲んでくれているらしい。
「まだ生きたい」という気持ちがある・・・。
電話が鳴らないことを祈る毎日だ。
2015年3月2日月曜日
カンボジア医療の現実
カンボジア人の旦那の友人がベトナムでの手術を終えて半身不随で帰ってきたと連絡があった。
手術は首の頚椎の神経が絡まってた
らしい
だから、半身不随は避けられなかったと思われた。
自宅療法で手が動いて喋れるまでに回復したのだが、また先週の木曜日に連絡が入り呼吸困難になって入院したとのこと。
以前から喘息らしい症状があったのは聞いていたので発作か?と思い病院へ。
すると、薬は予想もしないものが!
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